狭山湖の歴史

更新日:2015年6月19日

 狭山湖(山口貯水池)は、はじめから湖だったのではないことを知っていましたか?市内を流れる柳瀬川の上流をせき止めて作られた人造湖(じんぞうこ)なのです。そもそも、狭山湖の底には勝楽寺村(しょうらくじむら)と山口村の一部があったのです。

 昭和2年に東京市民(当時)の水がめとして多摩湖(村山貯水池)が完成しましが、東京市の人口が急激に増えたため、その水だけでは水量が足りなくなり、狭山湖も作られることになり、狭山湖は昭和9年に完成しました。

 狭山湖を作るためには、勝楽寺村と山口村の一部が湖の底に沈むことになり、282戸、1720人が住みなれた土地を手放して村を離れることになりました。村を離れた人々は、ほかの山口村、小手指村、村山村(武蔵村山市)などへ移転していきました。
 当時のこの村では、農業での生活が苦しかったので、織物製造業(おりものせいぞうぎょう)を営んでいましたが、不況で大変貧しい時代であったため、ある人々は土地を手放したお金で、少しでも豊かな場所で生活できることを夢見て、またある人は狭山湖を造ることになればその工事現場で働けることを聞いて土地を手放しました。しかし、皆それぞれ口では言い表せない苦労を味わったそうで、そのことが「湖底(こてい)のふるさと」(昭和58年調査同好会発行)という本に書かれています。

 現在は、狭山湖の湖底を見ることはできませんが、取水塔(しゅすいとう)の修理のときなどには湖底が現れたことがありました。湖底が現れると、当時の道の跡や、道の分かれ目を示す石柱、柳瀬川の本流の跡など、勝楽寺村の地形をみることができました。

 狭山湖は、春になると桜の花が咲き、湖にとてもよく映え、天気のよい日には堤防(ていぼう)から富士山をみることもできます。皆さんも一度、狭山湖に行ってみてはいかがでしょうか。

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