山口地区
狭山丘陵の間を西から東に柳瀬川が流れています。水の便のよいこの場所は古くから人が住み、中世には山口氏という武士が館を構えていました。
江戸時代には、勝楽寺、堀口、大鐘、新堀、川辺、菩提木、氷川、打越、町谷、山口堀之内、岩崎という11もの村が密集し、これらの村は明治8年に山口村、上山口村、勝楽寺村という3つの村にまとまりました。さらにこれらがひとつの「山口村」となるのは明治35年のことです。
その後昭和18年に所沢町などと合併し、「山口」「上山口」「勝楽寺」の名が大字として今に残りました。