小手指ヶ原古戦場
更新日:2019年10月13日
小手指地区北野の埋蔵文化財調査センターのある一帯は、「小手指ヶ原」と呼ばれ、今から650年以上前、たびたび合戦が繰り広げられました。中でも新田義貞による鎌倉攻めの戦いは、印象的であったことを地名や伝承地などからうかがうことができます。
上野国(現在の群馬県)を本拠とする新田義貞は、鎌倉幕府を倒すため兵を挙げ、元弘3年(1333年)5月8日に新田荘を出ます。初め150騎ほどであった一行は、兵を進めるに連れて沿道の武士が加勢し、数を増やしていきました。鎌倉を発った幕府軍との合戦の火蓋は、5月11日に小手指ヶ原で切られます。戦いは一進一退を繰り広げる激戦となりましたが、幕府軍は徐々に新田軍の進軍を許すところとなり、5月22日に得宗の北条高時らが鎌倉東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅びました。
【指定年月日】昭和36年9月1日
【所在地】所沢市北野二丁目12番地の4(石碑の所在地)
小手指ヶ原古戦場の石碑
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