三富新田
更新日:2022年12月21日
『ところざわ歴史物語』
44から45ページ(3章4節「三富新田の開発」)に掲載
三富新田
江戸時代のはじめ、村は丘陵の谷あいや川の流域に立地していました。
台地には武蔵野の景観そのままの萱野が広がり、「秣場」として使われていました。
そのような非耕作地を開墾し、耕作地にして年貢を増やすため、1600年代の後半から幕府や藩が熱心に原野の開発をおこないます。
三芳町の上富と合わせて「三富」と呼ばれる中富、下富の新田開発は、元禄7年(1694年)に川越藩主となった柳沢吉保によって進められました。中国の学問に基づき、新田の地割は細長い短冊状に区切られ、各地から入植した農民に配分されました。また、入植した農民のよりどころとするために、藩の財政を投入して「一寺一社」(多福寺と毘沙門社多聞院)が建立されました。
空から見た三富新田
もうすこしくわしく
『所沢市史 文化財・植物』43ページ 「三富開拓地割遺跡」
『所沢市史 上』622ページ 4編2章2節4「三富新田の開発」
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