所沢織物

更新日:2022年12月21日

『ところざわ歴史物語』
112から113ページ(4章16節「所沢織物の盛衰」)/161ページ(6章6節「生産生業」)に掲載

江戸時代後半から、狭山丘陵周辺の農村では、農家の副業として織物が盛んに織られました。これらの織物は、所沢の三八市で主に取り引きされたため、「所沢織物」の名で知られました。

所沢織物の主力は縞木綿や絣木綿でした。幕末から明治時代にかけて輸入糸が手に入るようになり、また高機(たかばた)という織機が普及すると、生産量が一気に増え、明治中期に最盛期を迎えます。
しかし洋服の普及で需要も減り、また他の絣産地との競争に勝てず、大衆向けの市場からは後退していくことになりました。

大正6年、業界有力の平岡徳次郎商店は「湖月会」を組織し、「湖月縮」などの新製品を開発して市場に送り出しました。これらはよそいきやおしゃれ着となる織物で、デパートで品評会を開いたり、婦人雑誌へ広告を載せたりして販路の拡大に努めました。
とはいえ、日常着であった絣の衰退はまぬがれず、昭和恐慌期以降、所沢織物業界もその性格を変えていきます。

  • もうすこしくわしく

『所沢市史 下』187ページ 5編4章5節3「織物業の展開と銀行設立」/233ページ 5編5章5節「綿織物業の展開と同業組合」/352ページ 5編7章4節3「所沢の織物業」/416ページ 5編8章3節「所沢絣の衰退と組合解散」

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