令和4年5月号 小須田潤太さん(パラ陸上・パラスノーボード選手)

更新日:2022年8月25日

プロフィール

小須田潤太こすだじゅんたさん

(下安松出身)

東京2020パラリンピック・北京2022冬季パラリンピック出場。
安松小・中学校、県立所沢中央高校を卒業。
21歳の時に交通事故で右足を失う。
東京2020パラリンピックでは走り幅跳びで7位入賞。
北京2022冬季パラリンピックでは練習中に転倒し負傷するも、スノーボードクロスで7位に入賞。

義足と共に駆け抜ける 夏・冬二刀流のパラアスリート

夏はスプリンター、冬はスノーボーダーと、異なる競技で東京2020パラリンピックと北京2022冬季パラリンピックに出場した二刀流のパラアスリート、小須田潤太こすだじゅんたさん。二度のパラリンピックに連続出場を果たし入賞したつわものだが、学生時代はいわゆる「普通の子」だったという。
 

「中学校まではサッカー部でしたが、特にスポーツ一筋だったわけではありません」。大学に進学するも中退し、高校生のときからアルバイトをしていた引越し会社に就職した。
21 歳の時、人生が一変する。仕事でトラックを運転中に交通事故に遭い、右足の大部分を失ったのだ。事務職として職場に復帰したが、もともと何か目標を持って過ごしてきたわけでもなく、「ただ生きているだけの日々」が続いた。
転機が訪れたのは、24 歳の夏。理学療法士などの勧めで、競技用の義足での走り方を学ぶランニングクリニックに軽い気持ちで参加した小須田さんを、運命的な出会いが待っていた。
「講師で来ていたパラ陸上のメダリスト・山本篤やまもとあつしさんの走る姿を見て、シンプルに『かっこいい』と衝撃を受けました」。
自分と同じく足に障害がある山本さんの姿に、「自分もやってやる」と突き動かされた小須田さん。その瞬間から、パラアスリートとしての人生が幕を開けた。
山本さんの背中を追うようにパラ陸上の世界に飛び込み、のめり込んだ小須田さんだが、その後、山本さんがスノーボードにも挑戦し平昌パラリンピックへの出場を決めると、自身もスノーボードに挑戦。二刀流のパラアスリートとなった。
国内外の大会で結果を残し、つかんだ夏季・冬季のパラリンピックの舞台。「東京から北京まで準備期間が短くて大変でしたが、やれることはやったと思います。とにかく楽しくて、やはりパラリンピックは特別な場でした」と二度の大舞台を振り返る。大会を終えて感じたのは「メダルを取りたい」という一層強い思いだ。


「今では、自分は足を失ってよかったと思っています」と、小須田さんはきっぱりとした口調で言う。パラスポーツと出会ってから、見える世界が輝き、広がっていったという。「『障害』と聞くとネガティブに感じることもあるかもしれません。しかし、捉え方によっては強みにもなる。そのことを、パラスポーツを通じて証明したい」と語る瞳は、2026年のイタリア冬季パラリンピックでの表彰台を見据えている。
ただ生きているだけの毎日から、足を失って見えた輝く世界。その世界を義足で駆け続ける小須田さんの姿から、今後も目が離せない。 (取材:宮崎)

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