令和3年4月号 齋藤庸裕さん(スポーツ記者)

更新日:2021年3月27日

プロフィール

齋藤庸裕さいとうのぶひろさん

(松が丘出身)

米ロサンゼルス在住の日刊スポーツ記者。
大谷翔平選手を始め、秋山翔吾選手、前田健太選手など、日本人メジャーリーガーの取材を担当する。
休日は趣味のゴルフ、仕事の合間を縫ってスポーツマネジメントの勉強にも勤しむ。
プロ野球記者1年目で下克上日本一を達成したロッテ、4年目で球団初の日本一を成し遂げた楽天の担当となり、「運を持ってる男」と言われることも。

「信じて続けること」の大切さを伝えていきたい

メジャーリーグの本拠地・アメリカ。
異国の地で日本人選手の最前線を追う記者がいる。齋藤庸裕さんだ。
小学生の時は南小カッパーズ所属の野球少年、夢はプロ野球選手。
大学まで野球を続けたが、就職のタイミングで父と同じ報道に携わる道を選んだ。
 
入社後、編集制作部を経て、野球担当としてロッテ、巨人、楽天の担当を務めたが、記者の仕事に限界を感じ一度退職。
キャリアチェンジを決心し、スポーツマネジメントを学ぶべく単身アメリカへ。
猛勉強の末、サンディエゴ州立大の大学院に入学したものの、そこでは言葉や文化の壁に苦しめられた。
日本語でさえ受講したことのない経営学。
専門用語を聞き取るだけでも必死なうえ、ネイティブの話す速度は尋常じゃない。
授業スタイルは発表型で、プレゼンテーションの比重が高く、授業中の発言も卒業単位に加味された。
さらにグループワークでのグループ決めの際、「英語ができない」レッテルを貼られた齋藤さんはいつも孤立し、精神的にも追い詰められていった。
しかしある時、
「吹っ切れたんです。
『分からないから助けて』と素直に言ったら、助けてくれる仲間ができて。
周囲に支えられて卒業させてもらいました」。
かつて、プロ野球選手になる夢を「身体が大きくないから」「受験勉強のため」と、理由をつけて諦めた自分がいた。
異国での大学院卒という「困難な挑戦」は齋藤さんの後悔を次への一歩に変えた。
 

「この体験を伝えたい」。

卒業後もアメリカで頑張ろうと就職活動をしていた矢先、日刊スポーツからアメリカ在住の記者として声がかかった。

2017年、同社に再就職。

それは大谷翔平選手がメジャー挑戦を決めた年でもあった。

齋藤さんは大谷選手の担当に。

「彼の生き方そのものが、自分が伝えたい『軸』を体現しています」。

大谷選手のことを語る時、齋藤さんの口調は熱を帯びる。

「彼は難しいと言われた投手・打者の二刀流をできると証明しました。常識を覆したんです」。

どんな逆境でも、無理だと思われていることでも、信じて続ければやり遂げられる。

それは、夢を諦めてしまった後悔と、やりきった経験の両方を持つ齋藤さんだからこそ伝えたい「軸」だ。

「どの選手にも困難な状況は必ずあります。

それを乗り越えた人たちに共通しているのは継続すること。

そのマインドを目撃し、伝えることが取材の醍醐味です。

困難と向き合い、前に進んでいく彼らの姿勢を介して、一人でも多くの人に、希望に満ちた豊かな人生を歩んでもらいたい。

いつか教育や講演の場でも発信できたらと考えています」。

自身も目標を持ち続けている。
 

コロナ禍の苦しい状況も必ず乗り越えられる。

そんなメッセージを記事に込める熱い記者を地元から応援したい。
 

(取材:齋藤)

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