令和3年11月号 小暮晴彦さん・小暮重行さん(三代続く市内唯一の養蚕農家)
更新日:2024年6月11日
プロフィール
小暮 重行さん 小暮 晴彦さん
(北野南在住)
重行さんは純所沢産落花生『トコピー』の生産にも力を入れている。
地元の活性化にも尽力し、北野天神社での「夜桜あかり」にも携わる。
「お蚕様」と呼ばれた時代を令和の今に伝える
小暮さんご一家
市内唯一の養蚕農家である小暮家は家長の晴彦さんと奥様の房子さん、長男の重行さんと奥様の由木子さんの4人で養蚕を営んでいる。
蚕が繭を作り出荷するまでの期間はわずか1カ月ほど。小暮家では、今でも春蚕期、夏蚕期、晩秋蚕期と年3回繭の出荷をしている。
蚕が小暮家に届くと包みをほどき、晴彦さん夫婦と重行さん夫婦がペアとなって手際よく数万匹いる蚕をできるだけ重ならないように散らして、まず長旅で疲れた蚕を休ませる。
「蚕は桑と温度を食って大きくなる」と晴彦さん。外気との寒暖の差が激しい時は暖房機で室温を調整するが、湿度が高くなると病気になりやすいので、窓の開閉で湿度を調整するなど、蚕の成育に適した環境作りが欠かせない。
「おやじは夜中も起きて蚕の所へ、室温を調整したり桑やりをしたりして、蚕にかける想いは人一倍強いよね」と重行さん。「蚕は手をかければかけるほど良い繭を作るから、手は抜けないんだよね」と輝いた目で語る重行さんの養蚕に対する熱意を小暮家一家で支えている。
地元の北野小学校では毎年3年生の総合学習の一環として、小暮家から蚕を譲り受け、児童1人1人が土日は家にも持ち帰り、蚕の飼育をしている。
「蚕の成長はあっという間だから、初めて蚕を見た時と、繭を作り蛾になるまで世話をした後の子どもたちの顔はね、全然違うんだよ。生き物を世話するって事は大切な経験になるんだよね」と子どもたちからの手紙を丁寧に読み返しながら晴彦さんは言う。
蚕が勢いよく桑を食べている時のカサカサという音が聞こえなくなり、頭をあげる動作をし始めると、それは繭を作る合図だ。 「上蔟」という繭を作る場所へ蚕を移動させる工程は、一番人手が必要で、この時ばかりは知人や遠方の親戚にも手伝ってもらっての作業となる。
長男である重行さんは、周囲から当然のように家業を継ぐと期待されている事に窮屈さを感じ、一度は大手企業に就職。充実した社会人生活を送っていたが、趣味の無農薬での田畑作りをするようになると、畑を無農薬でやる事は片手間でできる事ではないと痛感。30歳で退職し家業を継ぐことを決意、気づけば20年以上が経っていた。
晩秋蚕期の出荷を待つ繭
「養蚕業は分業制だから、どこかがやらなくなったら、産業自体が無くなっちゃうんだ」と淡々と決意を秘めた表情で語る重行さんは、会社員時代に培った技術を取り入れ、父晴彦さんが大切にしている養蚕を守り抜いている。
(取材:坂本)
web版こぼれ話 ※「お蚕様」の写真もありますので、幼虫の苦手な方はご注意ください。
蚕の成長~配蚕から出荷まで(おもに晩秋蚕期)~
蚕が小暮家に来てから出荷されるまでを、写真で紹介します。
配蚕
包みにくるまれて蚕は届けられる
手際よく蚕を拡げる
長旅で疲れた蚕を休ませる
桑の収穫
桑の収穫 同じ長さになるようにそろえて切る
すぐにほどけるように独特な結び方で束ねる
収穫後は水を散布して乾燥を防ぐ
上蔟
大きく成長した蚕
敷き詰められた桑から蚕を取り出す
親戚の手を借りての作業
集めた蚕には、まだ桑の葉がついてるので
蚕のうえに網をかぶせると
蚕は網の上に上がってくる 蚕の習性を利用
蚕を上蔟のための部屋へ上げる
2階で蚕を受け取る
受け取った蚕を木枠の中に入れ
蚕を上蔟のためのボール蔟(まぶし)に
蚕がボール蔟(まぶし)の枠に収まっていく
天井から吊られた回転蔟(まぶし)
毛羽取り
繭はボール蔟に毛羽で固定しているので
未熟な繭がないか確認してから
毛羽取りの機械へ通す
出荷
出荷のために、繭を選蚕台(せんけんだい)へ
色がよくないものなどを選別し、良い繭だけを出荷
生産者名が記された出荷票と一緒に袋へ
成虫
配蚕当日の蚕
配蚕日から8日後の蚕
上蔟日の蚕
蚕から成虫へ 整った蛾眉(がび)が特徴
繭を尿で溶かし、そこから繭の外へ
透き通った綺麗な羽、でも飛ぶことはできない
ギャラリー
繭で作った造花
百合の花もほおずきも繭で作られてる
ほおずきの中のタネも繭で作られている
晴彦さんと房子さん
重行さんと由木子さん
児童からの手紙が晴彦さんをさらに元気に
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